1999年12月。赤坂ブリッツ。

16歳の自分は、高校の友人と地下鉄に乗り込んでいた。なけなしのバイト代をポケットに、チケットを握りしめて。会場の空気は、明らかに自分たちより年上の人間で満ちていた。オシャレで、なんとなく「わかってる」感のある大人たち。

pre-schoolのライブが始まった瞬間、周囲が動き出した。
見よう見まねで、自分もダイブした。
着地がどうだったか、もう覚えていない。ただその瞬間、何かが始まった気がした。


翌年の11月、Zepp Tokyoへ行った。
BRAHMANの「thirst」ツアー。ゲストは200MPH(山嵜廣和在籍)。

当時はメロディックハードコア全盛の時代で、会場にいた観客の多くはその文脈で来ていたはずだった。しかしステージで起きていたことは、そのどこにも属していなかった。凶暴で、緻密で、難解で——ケイオス・ハードコアとでも呼ぶしかない代物が、ただ音として暴力的に落ちてきた。

突き放されるような衝撃だった。でもそれが、引っかかりになった。
後にtoeと出会ったとき、「ああ、あの夜の轟音の系譜にいる」と思ったのを今でも覚えている。


制服のまま行ったライブも、あった。
横浜の遠足から帰る途中、女友達と合流して、そのまま会場に飛び込んだ日。

制服は目立つ。背徳感がある。でもその不自由さが、スピーカーから溢れる音を「自分たちだけのもの」に変えた。自由を手に入れた大学生以降より、制約だらけのなかで掴み取ったこの時期の体験のほうが、圧倒的にリアルだったと今でも思う。


あの頃のシーンには、「9人の侍」と呼ばれたジョイントツアーがあった。
CAPTAIN HEDGEHOG、SHORT CIRCUIT、THUMB——3ピース×3バンド。
オープニングアクトはfunside。会場はまた赤坂ブリッツだった。

メロディックの多幸感とは対極にある、硬派なハードコアの凄み。
どっぷりシーンに浸かった大人たちと、圧倒されながら羨望の眼差しで見上げていた高校生の自分。あの対比を、なぜかいまもくっきりと思い出せる。


10代の音楽体験が人間の「背骨」をつくる、とよく言う。
それが本当かどうかは知らない。ただ、あの時期に刻まれたものが今も自分のなかで鳴っていることは、確かにわかる。

あの夜の轟音は、消えていない。