埼玉北部から千葉LOOKへ行くために、曳舟と亀戸を経由した。高校1年だった。
非効率なルートだ。それでも乗り換えて乗り換えて、午前中に会場に着いた。開演まで何時間もあった。バドワイザーを飲んだかもしれない。入りを見た。リハを見た。今思えば、ライブそのものより、そこに至るまでの移動と時間と道中が、体験の半分以上を占めていた。
音楽じゃなく、「日常からの脱出」が目的だったのかもしれない。あるいは両方だったのかもしれない。どちらにせよ、それは自分にとってジュブナイルな行為だった。
そのシーンにいたバンドたちが、その後どうなったかを、今なら説明できる。
その日出演していた、SOFTBALL。 彼らは最初から純粋だった。千葉LOOKで見たライブは、地元バーター的な立ち位置で、初代ベーシストが在籍していた頃の原初の衝動そのものだった。 同じ年の夏、代々木公園のフリーイベントで再度観た頃には、ベーシストはメンバーチェンジしていた。メディア展開の中で存在感は大きくなり、CMタイアップが加速。バンドは変わり始めた。
変わることへの抵抗は、過激化として現れた。
『八紘一宇』——強烈な右傾化とナショナリズムへの傾倒。
システム側が「扱えないもの」を武器にすることで、消費される偶像であることを拒絶した。そして2003年、突如解散した。
例えば、Hi-STANDARD。彼らも違うやり方で自分たちを守ろうとしたのかもしれない。
「流通はトイズファクトリー(メジャー)、マネジメントはハウリングブル(後のPIZZA OF DEATH)」——この巧妙な契約構造が防波堤になっていた。選ばれた才能だから成立した、主導権をバンド側が握るシステム。
しかし完全独立を果たしてミリオンを記録した瞬間、防波堤が消えた。シーン全体の責任がバンドに集中した。神格化は重力になった。精神を病み、20年の沈黙へ。
この構造の根っこには、日本の電波法があるのではないか。
有限な電波の寡占と排他的利権。流行は短サイクルで再生産され、アーティストは「記号」として消耗を強いられる。これに対してアメリカのケーブルテレビモデルは、ターゲットを細分化し、FAT WRECKのようなマニアックな経済圏の自立を可能にした。地上波に魂を売らなくてもインディーズが生存できる構造だ。
もしあの時代に今のSNSと分散型プラットフォームがあれば、SOFTBALLもハイスタも、あそこまで追い詰められなかったかもしれない——そう思うことがある。
アルビン・トフラーは1980年に「プロシューマー(生産消費者)」という概念を提唱した。
2000年前後のあのシーンで、自ら楽器を手に取りバンドコミュニティに参画した行為は、今思えばその先駆的な実践だった。純粋な消費者でいることへの中二病的な抵抗。消費と供給の狭間を覗く批評眼。無意識のうちに、トフラーが予言した場所に立っていた。
そしてSNSとプラットフォームが発達した現在、それは完全に実装されている。ファンが消費しながら同時にカルチャーを供給し価値を創造する回路が、至るところに走っている。
社会に参画して、システムの内側を知ると、あの頃の構造的な哀しみが見えてくる。
バンドたちが整理できなかった苦悩の正体。メディアが彼らに課した消耗の構造。なぜ純粋だったものが変質していったのかの理由。
わかる。今なら、説明できる。
でも、わかった瞬間に、もうあの席には戻れない。千葉LOOKで午前中から開演を待っていた「キッズとしての席」には、もう座れない。
それがこの話の、messy realityだ。
ただ——それを知りながらも、あの不器用で命懸けだったバンドたちの姿を、バドワイザーの味を、そのまま愛おしめる自分がいる。
構造の哀しみを知った上で、なお愛おしめること。
自分の手できれいに時間を区切ってきたからこそ到達できる、豊かで絶対的なリアルなのかもしれない。